Web2.0という言葉について

切込隊長BLOGを久々に読んでいて。

ま、内容に関してはちょっとアレ。煽りみたいな。

Web2.0っていう言葉が重要というか…Ajaxの時と同じで特定の言葉で括ったからわかりやすくなった、扱いやすくなったっていうことのはずなんだが。いわゆる抽象化で人間が扱う情報の量をひとまとめにして扱いやすくしたわけだ。(この件については、はてなid:naoyaさんが書いていたような気がしたのだが、見つからず…。おかしいなぁ。)

あと、はてなid:naoyaさんが成果物を見ないで評価はできないといった記述をしていますが、まさにそうですね。Web2.0だってそうなんじゃないかな。

企画書でコンセプトや未来像を書いても実際それがある程度形にならないと(売り上げとかアクセス数とか反応とか)どうもこうも評価もしようがないわけですね。

ただ、Web2.0にしても企画書にしても技術や売り込む方法などの具体的なことがしっかりしていないと、砂上の楼閣状態で何も実現しないまま終わってしまうわけですが。

長文引用すまぬ。

 その最たるものは、「人は成果物でしか物事を評価することができない」ということです。JavaScriptが、ユーザーの行動に制限を加えるために利用されていた当時は、そんな数々の実用例をみて人はそれをネガティブに評価してきました。しかし、Googleマップが登場し、Ajaxにスポットライトが当たりだすと、翻ってポジティブな評価を受けています。もちろん、以前からJavaScriptを正しく評価し有効性や可能性に気づいていた人もいたとは言え、大勢がそうではなかったことはみなさんもよく知るところでしょう。

 JavaScriptという言語は、確かにその仕様やブラウザの実装の変遷などはあったものの、基本的にはこの10年の間に大きな変化があったわけでもなく、ずっとそこにあり続けてきたものです。しかし、多くの人はそれを正しく評価することはできず、誤解し続けたままその可能性を見過ごしてきました。結局、Googleマップという具体的な実例をもってしか、それを評価することができなかったのです。

 人は成果物でしか評価できない、これは技術の世界以外でも同じことです。あるデザイナーが作品を作ろうとしたとき、そのコンセプトだけを聞いても誰もそこに正しい評価を下すことはできません。イメージだけでものを語っても、そこで得られるフィードバックはどれも的外れなものです。作品のかたちを見せたところではじめて「ここがいい」「ここが悪い」という賞賛・批判が行なわれるようになります。